あ~悲しい事を沢山耳にいたします。
やれいじめで自殺、恋人に殺された、子に殺された、親が子供を殺した。
明るい話題よりも、暗い事、悲しい事の方が耳に残るものなのでしょうか。
新聞、ニュースでも、マイナスイメージの強い事が多く報道されている気がいたします。このままだといけませんよ、アブナイですよ、という事のみを伝えるだけではいかがなものでしょうか。
どうすればもっと良くなるだろうかという事が後に続かないニュースの報道やら新聞のあり様に、少しどころではないイラダチを、タレ流し的なバラエティ番組の延長上にある様な所に覚えてしまうのです。人に対して考え方や、広くは思想的な事を与えてはいけないという所が上手な逃げ道となって、強烈なインパクトのある、悲しい事件がヤジ馬的に放送されているのは、実に悲しく、情けない事だと思います。
確かに事件として見れば、知っておく必要性もありますが、やはり尊い人命という存在があるわけです。競争の様にして根掘り葉掘りしている状(さま)は、時として、事件そのものよりも非道さを感じます。今月、なぜこんなに重い事を書いているかというと、「人生」、「死」、「命」、「人」って何だろうという事がとても軽んじられていて、大人の発言からも、子供の発言からも、「ウ~ン、それは違うのではないの?」という事が、当然ですよといった感で表現されているからなのですけど。前に、「生きるって、どういう事ですか?」と、いじめられてた子に質問されて、「何かを感じる事ですよ」としか、よい表現が見つからんものでした。でも、それでよいと思うのです。「生きる」という字は、大地から草木が芽を出して伸び行く状(さま)を表したものとあります。例えば、それが何百年と生きた大樹だとしましょうか。それを切って年輪を見ますと、ほぼ同心円状に年輪が広がってる、そんな事をイメージしください。年輪と年輪の間が狭いと寒かった年を表し、広いと、暖かかった事が判明するそうです。ただ突っ立って生えているだけではなく、一年一年がどのような年であったかを、植物でさえ感じ、年輪に刻んでいるのですよ。先程の生きるとは、感じる事。これは私が似たような質問を受けて答える時に使っています。やはり生まれた以上、死というものは早いか遅いかでやって来るものです。それはどの様な状況であれ、その人の心臓が止まった時に、死というものが確認される訳です。人生というものは、夜と昼があるように、良い事も、悪い事もあるものです。なければいけないのです。そしてそれを感じ、受け止めなければいけません。やはり、どこかで受け止めて、区切りをつけるから、年輪ってあるのでしょう。人とてやはり、どこかで自分の心で言い聞かせ、納得するなどして、心に刻み込まなければいけないですよね。それが悲しい事であるならば、尚更だと思うのです。冷たいと感じるかも知れませんが、そうしなければ、次の年輪が刻めないのです。嬉しい、楽しいという感情が、心に刻み込まれないのですよ。死ぬまでの間に、色々な事を心に入れる。それが、辛い事よりも、楽しい思い出を増やすためにはどうすりゃいいか、そういう事をもっと考えて、人と付き合い、ほどよく傷つき、そして、学びを繰り返せばいいんですよ。完全無欠なものなんてないのですから、ほどほどという事を知りましょう。自分の器量も知りましょう。そしたら、相手にも自分にも良い楽しい思い出が、沢山増えそうな気がいたします。自分の器量を知れば、相手に対しても、優しくなれると思います。器量とは、「完全無欠ではない」という事です。どんなに偉そうにしたって、人なんてちっちゃいものですよ~。だから、自分も人も追い詰めてはいけません。楽しい事を増やしましょうね。
生きるという字は、大きな大地から植物が勢いよく成長している姿からとられたという事です。植物のように、様々な事を感じ心に刻み込みながら、成長しましょうね。
(恋運暦石田千尋の心の解毒剤抜粋)


